フォトアルバム

最近のトラックバック

マチヅクリ本棚

  • マチヅクリ本棚

matilytics

  • matilytics

2015年10月11日 (日)

大阪微地形の景 上町台地(西側斜面とすべりだい)

Dsc08533

大阪微地形の景。
上町台地。

台地西側の急崖をすべりだいとして使いこなす子どもたち。
天王寺公園にて。

1_2

2014年5月15日 (木)

「高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性」について

高槻市北部の里山景観(文化的景観)は、地域の自然環境に即した農林業・寒天製造などの生業や、生活文化が継承されることによって、その価値が形成され、また維持されてきました。しかし、近代以降、特に第二次世界大戦以降の生活様式と産業構造の変化の中で、これまで里山景観の価値を支えてきた様々なシステム・要素が消滅・弱体化し、里山景観の将来的な保全に向けた様々な対策が必要とされています。

特に寒天製造という海産物を原材料とし、製造にあたっては内陸地の寒冷な気候を必要するという特殊な要件を有する産業の特性から、原材料および製品の流通往来に係る様々な歴史的・文化的な資源が地域に点在しています。しかし、流通形態の変化、また地域における寒天産業自体の衰退に伴い、寒天産業に関わりのない人々にとって、このような寒天の流通往来に係る資源に触れる機会がほとんど無い状況にあります。

そこで、これらの地域資源の存在およびその価値を知るきっかけとなるもの、また学ぶ際の教材となる資料を作成しようと思いました。
公開しようと思いながら、作成から2年近くが経過していましたが、小説&ドラマ「銀二貫」で寒天に注目があつまるなか、寒天という切り口で自身の地元高槻を知ってもらう、また学んでもらえらばと思いWebに公開することにしました。

寒天を通じて、高槻を含む、北大阪地域の様々な特性が見えてきます。(淀川を通じた流通往来、大阪天満との関係、丹波地域との関係、気候、森林資源利用、地域の伝統的な知恵、都市化の進展など)
北大阪から南丹に至る地域特有の文化圏が見えてくるかと思い、個人的に研究はほそぼそと行っています。

※9編からなる全文PDFはこちらからダウンロードできます。

※本文は平成24年度にNPO法人ノートの依頼で筆者が調査した内容を、依頼者の許可を得て掲載しています。

■参考文献
・大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』
・大阪乾物商同業組合(1933)『大阪乾物商誌』
・高槻市役所(1984)『高槻市史 第2巻 本編Ⅱ』
・福山昭(1970)『「近世寒天業の賃労働者」大阪教育大学紀要第19巻』
・国民新聞(1934年10月20日付「寒天の製造 輸出副業に適す 農林省でも奨励」」所蔵:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
・岡市正(1995)『目で見る茨木高槻の100年』
・高槻青年会議所(1977)『ふるさとの風土 高槻』

「8. 寒天製造に係る伝統的な知恵」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

8. 寒天製造に係る伝統的な知恵


高槻市城山の宮谷源次郎氏・橋本佐太郎氏の語る所によると、北から南へ雲足が早い時は北風が吹いて、キタケと言われ、雪やシマケ(雨)が来ると製品には良くないが、これらの来ないときはキタケの時は寒く良く凍ててキタイテと言われる。しかし、キタケの時は、雲が出て夜中中見張の必要がある。キタケの一種で、真北では無く、一寸乾(北西)の方向からの風は良好で寒さ強く、特に角寒天には良くてイヌイイテと言われる。ニシ(西)の強いものはシラニシと呼ばれ、寒気強くイチヤヌケと言って一晩で心太が完全凍結する物で、昼でも凍結し、これも一週間位は続く。未・申(南西)の方より子・丑・寅(北から北東)の方面へ雲が行けば、暖寒でイテにくく天雲であるが、然し雨はあまり降らず、サーッと降ってはあがる時が多く、全くイテず、この天候も一週間くらい続くものである。しかも寒さぬくさは大体一週間位宛続いて交替する様に考えられ、雨の際は雨の前一日・前の日一日・雨後の一日合計三日間は駄目で皆目イテぬ。又南西の雲のかたまり(岩雲と言う)が出ると強くイテルと言われている。


高槻市原の寺下文次郎氏も、ニシは三日間位きついのが来て良く凍り、キタは寒くても雲が出て寒い割に凍り難く、職人は夜明しして監視せねばならず、ミナミの時は、晴天でもヌクイ、雨になり温い風になる。ヒガシは雨多いと言っている。


高槻市服部の川上彌三郎氏の話によると、「イヌイが晴れぬとイテヌ」と言ひ、又「キタ押したら雨や」、即ち北から雲が来た場合は雨になる事多く温かで凍らぬ。寅・卯(北東から東)から雲が押して乾(北西)へ入ると天気も良く寒さも強い。南から丑・寅(北東)へ雲が行く(「雲が京行キスル」と言ふ)と雨。イヌイグモは凍てぬ。風は寒天に悪く、北風・西風は嫌で無い方が良く、凍結・乾燥共に悪い。一夜抜けは寒天がバラツクと言われている。


 高槻市原の谷口百太郎氏工場の棟梁の神内鉄太郎氏の言に依ると、ニシはイテに良いが空気が乾燥する故、風乾きになって乾燥には不良であるから防風の簀を立てる。キタは大きいのは無い。ヒガシ・ミナミは雨の前兆と言ってゐる。

(以上、大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』より編集)

※9編からなる全文PDFはこちらからダウンロードできます。

※本文は平成24年度にNPO法人ノートの依頼で筆者が調査した内容を、依頼者の許可を得て掲載しています。

「7. 寒天原藻の供給元」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

7. 寒天原藻の供給元

天満乾物問屋大根屋小兵衛は天明5年(1785)、江戸での商用からの帰途の際に東海道三島に寄り、南伊豆における心太草算出の豊富なるを知り、下田港に出で、一商人を介して南伊豆一帯の石花菜を買付け、大阪へ廻漕することを託した。これがため伊豆草の毎年大阪に廻着するものは大根屋一手に引受け、摂州製造人に売却し、また貸下げて寒天製造を奨励し、製品を自家に引取って販売の途を開いたので、製造者は漸次各村に拡がった。(大阪乾物商同業組合(1933)『大阪乾物商誌』)


昭和23年(1948)の大阪府における寒天原藻の荷受実績をみると、伊豆を含む静岡県からの荷受実績が102,438貫(38.4万kg)と全国合計259,582貫(97.3万kg)の39.5%を占めている。その他は西日本を中心に広く原藻が供給されている。

120615_s23

図10 大阪府における昭和23年(1948)度寒天原藻荷受実績

資料:大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』をもとに作成

 

※9編からなる全文PDFはこちらからダウンロードできます。

※本文は平成24年度にNPO法人ノートの依頼で筆者が調査した内容を、依頼者の許可を得て掲載しています。

「6. 寒天製造業の立地要件」 高槻を中心とする大阪府下における 寒天産業の歴史的・文化的・社会的特性

6. 寒天製造業の立地要件

寒天は石花菜を煮て造った心天を凍凝させて造るものであるが、これを造る場所としての製造期節は、十一月から二月迄が寒冷で、即ち零下二度乃至五、六度迄の所であり、又西北風の当らぬ所でなければならぬ、若し西北風が当ると早く乾燥して寒天の色を黒くする為め、食用にも工業用にも使用出来ない事となる、故に其の好適な製造所としては、西北に山を負い東南の開展して居る所がよく、又天然条件としては晴天の多い所、雪、雨の少い所、海洋の気象の影響を受けない所がよい、又前記の条件の外水質が優良で、交通(運搬)の便がよく、尚薪灰の安価な所であれば何処でも容易に出来るが、若しこれ等の条件が揃わないとすれば、殆ど其の製造は不可能である。(国民新聞1934年(昭和9)10月20日付「寒天の製造 輸出副業に適す 農林省でも奨励」)。

_p193__2

図7 晒場(高槻市服部川上氏)

出典:大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』

_p196_

図9 干場(高槻市服部川上氏)

出典:大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』

_p190_

図8 晒場(高槻市原谷口氏)
出典:大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』

原藻の晒には豊富な清水が絶対的に必要である上、原藻のアクヌキと水洗いの関係上からも、同じ川の上流に多数の晒場があることは望ましくない。特にすぐ川上に接して他の晒場があり、そこの濁り水や排水がすぐ下流に流される場合は、アクが入って困るといわれるため、晒場が同一河川の沿岸に並んであるときは、(河川水を)分流し、用水は一方の同一の流れから行い、アクの排水は他の同一の流れに行う様に工夫されている。高槻市原の谷口百太郎氏工場では、製造場が段丘上にあって川水を得難い故、芥川に水車を設けて揚水し、さらにこれを撥釣瓶(はねつるべ)で煮熟釜に長い樋を使って入れている。(大阪府経済部水産課(1951)『寒天の地理学研究』)

※9編からなる全文PDFはこちらからダウンロードできます。

※本文は平成24年度にNPO法人ノートの依頼で筆者が調査した内容を、依頼者の許可を得て掲載しています。